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zoom RSS 仁王行脚 エピソード0

<<   作成日時 : 2013/12/17 12:32   >>

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2010年11月21・22・23日に宮城県の仁王さんを巡り、その翌月に仁王専門で行ってみようと決めてから早いもので仁王行脚も丸3年になりました。

今回は3周年&本州踏破記念特別企画として仁王行脚を始める以前の各地の霊場巡りをしていた頃まで遡って、その出会いを振り返ってみようと思います。
題して「仁王行脚 エピソード0」です。



◆奈良県吉野町 金峯山寺(きんぷせんじ)
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あれはもう何年前のことになりますか、確か2005年か06年だったと思のですが当時とあるカエルがモチーフの特撮ヒーローを自主制作で作っており、そのご縁で7月7日に毎年行われている金峯山寺の「蛙飛び行事」にゲストでお招きいただいたことがありました(もちカエルの姿に変身して)。
みうらじゅん師匠のとんまつりで蛙飛び行事は知っていたので行事には興味深々だったのですが、当時はそれほど仏像に関心もなく(苦笑)、蔵王堂の蔵王権現像にもさして興味を示しませんでした(今考えるともったいない!)。
でもそんな中、仁王門に立つ巨大な仁王さんには反応し、同じポーズをして記念写真を撮ったのを思い出します。
思えば人生でこれが仁王像だと初めて認識して見た瞬間でした。
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◆宮城県涌谷町 箟峯寺(こんぽうじ)
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今でこそ笑った仁王さんを仁コ王と呼んでカテゴライズして親しんでいますが、仁王さんは怒っているものとして捉えていた2010年11月の時点では「笑う仁王さま」として非常に印象に残った仁王さんでした。いわば元祖仁コ王です。
可愛らしい表情と体型とポーズに勝手に「小型の像」と決め込んで会いに行ったところ、意外にも巨大な像で驚いたのも思い出されます。ボクに仁王行脚は面白いと思わせてくれたのがこの仁王さんとの出会いでした。
’11年の震災後にも被災状況を確認しに伺いましたが、吽形さんの髻(もとどり)が欠落し耳のところで引っ掛かっていました。修復が待たれます。
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◆長野県長野市 善光寺
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高村光雲、米原雲海によって明治〜大正時代に制作された有名な善光寺仁王像。
善光寺に初めて訪れたのは2009年の12月に坂東三十三観音巡礼結願のお詣りでした。その後事あるごとにお詣りしていますが、力漲る5mの大きな体、近代彫刻の傑作と言われるその緻密な造形に毎度毎度ため息が出ます。
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通常の仁王像とは阿吽の立ち位置が逆なのは、朝日が阿形に、夕日が吽形に当たるように配置されているからだそうです。
いつもお朝事の「お数珠頂戴」に参加してから朝日を浴びている阿形さんを撮影するのですが、よく考えると夕日が当たる吽形さんを撮影したことがありません。これはいつかちゃんと実現せねばと思います。
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◆奈良県奈良市 東大寺
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誰もが知っている仁王界の超メジャー、東大寺南大門の金剛力士像。運慶率いる慶派一門が作った国宝仁王さんです。
メジャー過ぎてこれ以降、出来のいい仁王さんはなんでも「運慶が作ったことにしよう」という『伝運慶ブーム』が全国各地で起こります。美しきことは罪深きかな。
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仁王行脚の以前からも何度も訪れている仁王さん、折角の素晴らしい国宝仁王さんですが、いざ写真に収めようとすると、その大きさと金網と観光客の多さでなかなか苦戦します。
そこで今年の「ライトアッププロムナード・なら」でライトアップされているところを狙って、やっと納得のいく写真を撮ることができました。
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◆千葉県成田市 滑河観音龍正院
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ファニーな仁王で「ファニオー」。おそらく人生初のファニオーは2009年秋に巡った坂東三十三観音巡礼でのこの成田の別名「火伏せの仁王尊」ではないでしょうか。
その異名の由来は次の通り。『大きな注連縄がかかる仁王門をくぐるが、 この仁王尊は享保年間(1710〜36)門前に火災があった時、観音堂の屋根から大きな扇で火焔をあおぎかえし、本堂から下の集落は焼失をまぬがれたという伝説の主である。それより火伏の仁王尊としての信仰があつく、毎年正月八日に火災をまぬかれた下の集落の人々によって注連飾が奉納される』
不思議なルックスとその伝承が相まって、なんとも言えない霊験を発する仁王さんです。
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◆宮城県仙台市 妙心院
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ラストはやっぱりこの方でしょう。2010年11月仁王行脚のきっかけとなった仁王さん、宮城県仙台市妙心院です。
上に挙げたような古い像でもなければ、有名仏師が作ったわけでもない平成の仁王さんですが、その出会いのインパクトは超強力でした。
鬼気迫るその表情が夕日に照らされ今にも動き出しそうに思え、その場で「うわ」と声をあげたほどです。
残念ながら今は太陽が沈む位置にビルディングが建ってしまった為、この夕日に照らされて眼を光らせた写真を撮ることは叶いません。
当時、初期のエントリー機のデジイチで撮ったので画素数も少なく、なんとか今のカメラで再チャレンジしたいのですが朝日ならなんとかなるでしょうか。
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その後毎年お詣りして撮影させてもらっていますが、やっぱり一番最初の奇跡の一枚には到底及びません。ボクの仁王行脚はある意味この一枚を超える事、超えられなくてもせめて追いつく事が目標だといえます。
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いかがでしてでしょうか。
こうして仁王行脚の始まりを振り返ってみますと、仏像の知識は増えたものの当時も今も目線は同じ、切り口は同じなんですね。

最後にボクが仁王行脚を始める前、関東八十八ヵ所霊場を巡っていた頃にそのフォトコンテストで準グランプリをいただいた写真を貼っておきます。
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「仁王さんと桜」

思えばこの時既にボクの仁王行脚の旅は始まっていたのかもしれません。

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